そして、 念願叶ってようやく代表作「道」を観賞することができました。
私がこの絵との対面を熱望していたのは、とある理由があったからでした。
それは長男が誕生したときのことです。
息子が都内の大学病院で産まれたのは、もう10年も前になる4月のことでした。
長かった分娩を経て、深夜0時になろうかというところで大きな産声を上げ、無事母子共に健康で生まれてくれました。
その後一通りの処置が終わり、助産師や看護師たちが部屋から去ると、しばしの間、家族だけの時間となりました。
長かった分娩を経て、深夜0時になろうかというところで大きな産声を上げ、無事母子共に健康で生まれてくれました。
その後一通りの処置が終わり、助産師や看護師たちが部屋から去ると、しばしの間、家族だけの時間となりました。
そのとき、病室の窓のカーテンを開けて外を覗いてみると、眼下に一すじの道が見えました。
街灯に照らされた商店街の一本道が、真っ直ぐ先まで延びていました。
この光景を見たとき、東山魁夷さんの「道」が想い浮かびました。
絵の実物を観たことはありませんでしたが、このとき私は窓の外から覗く商店街の道を、東山さんの絵画の「道」に重ねていました。
そして、真夜中に仄暗く浮かぶこの一条の道が、たった今この世に生まれ落ちた息子が歩んでいく、人生の道に見えました。
その後どうしても絵の実物が観たいと思い、絵を所蔵する竹橋の東京国立近代美術館に何度か足を運んだものの、 展示されていることはありませんでした。
「残照」をはじめとして、いくつかの作品は鑑賞できましたが、「道」を見ることはできませんでした。
美術館に直接電話をし、どうしても見たいので次回の展示期間に入れて貰えませんかとお願いしたものの、その願いは叶いませんでした。
その後月日は流れ、作品のことは頭の片隅にありましたが、鑑賞する機会はありませんでした。
それが、今回こうして大回顧展が開かれ、ようやく対面することできました。
会場を訪れると、予想以上の人で賑わっていました。
順々に絵を見ながら進み、ようやくお目当の「道」の前に立って直に触れて対話をしたとき、息子が生まれた当時のことを思い出しました。
順々に絵を見ながら進み、ようやくお目当の「道」の前に立って直に触れて対話をしたとき、息子が生まれた当時のことを思い出しました。
あのとき小さかった息子は、ときに泣き、ときに笑い、ときに転び、それでも立ち上がりながら少しずつ成長し、自分の人生の道を一歩ずつ歩んできました。
今では一丁前な口を利くようになりましたが、これから成長するにつれ、どんな困難や障害が待ち受けているかは分かりません。
親としてできることは、それほど多くはないのかもしれませんが、息子は息子なりに、これからも一歩ずつ、自分なりの道を歩んでいくことでしょう。
親としてできることは、それほど多くはないのかもしれませんが、息子は息子なりに、これからも一歩ずつ、自分なりの道を歩んでいくことでしょう。
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