2017/10/14

フィンセント・ファン・ゴッホの糸杉(Cypresses)から考える絵画との接し方




NYメトロポリタン美術館(THE MET)


anielbaez0によるPixabayからの画像 



海外旅行の楽しみとして、美術館巡りを挙げる人は多いかもしれません。

絵画などは、各国の美術館を転々とすることがあるとはいえ、そのときそこでしか観られない美術品も当然あります。

また、その作品が現地で製作されたものならば、旅先で感じた土地の息吹きと共に接することで、より深く対象に迫れるでしょう。

その土地の文化だけでなく、時代背景や創作者の人生を知れば、よりその美術品を理解できることは確かですが、現地での解説を読む前に、先入観を排した状態で鑑賞することも大切です。

それは、先に解説を読んでしまうと、その内容を確認するだけに終始してしまうからです。

また、その筋の権威が与えた解釈に流されてしまうからでもあります。

対象に直に迫り、新たな発見ができるのは、何も知らない素人によるものです。


「考えるより感じろ」


この言葉は、小説を読むときにも当てはまりますが、私はそんな思いで絵画を鑑賞してきました。

私が心を寄せる絵の一つであるゴッホの糸杉(
Cypresses)は、すでに彼の悲劇的な人生や手紙の内容を知った後でしたが、そこに存在する一つの絵画として、接しようと努めました。





まず、実物を観て真っ先に魅入られるのは、何度も塗り込まれた浮き上がる絵の具です。

激しい情念を表すような凹凸がキャンバスを制し、観る者を圧倒します。

これは、写真や画像では決して分かりません。

そして、画布に描かれているのは、揺めきながら屹立する糸杉。

下草、空、雲が
歪んで渦巻き、それらが周囲から煽りながら、そびえ立つ糸杉に収斂していく様。

ここでは、対立した矛盾が止揚され、画を統一しています。

それは、素直な情熱と孤独の狭間で懊悩しながらも、自らを表現し通した芸術家の叫びを感じます。

ゴッホの手紙を読むと、純朴な人柄がひしひしと伝わってきます。

その素直さで自らの絵を追求したものの、生前に売れた絵は一枚だけとも言われ、同じように時代の無理解と闘っていたセザンヌには歯牙にもかけられず、一緒に暮らしたゴーギャンとも仲たがいになり、孤独に蝕まれて狂乱し、失意のうちに人生を閉じた炎の画家、フィンセント・ファン・ゴッホの傑作
「糸杉(Cypresses)」は、ニューヨークのマンハッタンにあるメトロポリタン美術館が所蔵しています。

この絵は、ゴッホが精神を病んだ後、フランスの南部サン・レミで静養していた1889年に描かれたものです。

それは死の一年前になりますが、病に苦しみながらも、創作者として格闘していたことがカンバスに認められます。

この絵は2012年に東京の上野にやってきて、私はそこで鑑賞しました。2019年の10月から2020年にかけても再び日本にやってきておりますが、是非観賞することをお勧めしたいです。

The Metは、私もぜひ訪れてみたいのですが、数々の世界の名品が集められており、見移りしてしまうかもしれませんが、ゴッホの糸杉はその中でも光芒を放つ、時代を超えて訴えかけてくる作品だと私は思います。


0 件のコメント:

コメントを投稿