2017/08/20

常識の否定についてアインシュタインの教育に関する名言から考えてみます



Mohamed NuzrathによるPixabayからの画像 



知の巨人・アインシュタインの名言は数々ありますが、教育に関するものもいくつか残しています。

その中で有名な言葉に、


常識とは、18歳までに獲得した偏見の集まりである。

Common sense is the collection of prejudices acquired by age eighteen.


というものがあります。

常識が偏見だということはつまり、常識とは自分に身についた偏った考え方だということです。

また、常識だと思われていることの本質を暴き出し、常識に囚われている自分を理解し、そんな自分を解放することは、生きていくうえで大切なことだと思います。

コロナウイルス騒動でも、科学的根拠が不明確な情報が飛び交ったり、そのあやふやな情報をもとに、感染者をバッシングするような状況が発生しました。

ただし、常識だと思っていた事柄が疑わしいものだと分かったとしても、その常識を否定することは今までの自分を否定することに繋がり、皆と同じである安心も放棄することになるので、たとえ嘘の常識でも、特に問題がなければ、その常識からの脱出を図ろうとしないかもしれません。

もちろん、やみくもに常識や権威を疑ったり否定するのはお勧めできないと思いますが、常識や権威というのは、時代の潮流なだけですから、真理のような不変なものとは違い、時代が変われば同じように変わり、文化が違っても変わるものです。

ただし、アインシュタインが偏見と言った幼い頃に身に付いた常識を変えるのは、なかなか難しいようです。

日本にも、「三つ子の魂百まで」という諺があるように、一度身に付いた常識や習慣を変えることは難しいかもしれません。

我々が受けている学校教育とは、より画一的であることも影響しているかもしれません。

もちろんどんな物事にも正と負の作用があり、それこそ画一的に論じることは危険ですが、時として常識や権威を疑う必要はあると思います。

では、子供が常識や権威を鵜呑みにしない人間に育つには、親は何をしたらいいのかを考えてみます。


まず1つ目は、当ブログでも述べているように、自分の頭で考える癖をつけさせることです。


宮本算数教室が出している賢くなるパズルを与えてみたり、将棋で一緒に遊んでみたりと、頭を使う遊びを子供に教えてあげることです。

くもん出版などから発売されている木のおもちゃ・タングラムや、ソニーのキューブ型ロボット・トイオなども頭を使うおもちゃだと思います。

ゲームも複雑なものは頭を使います。ファイナルファンタジーなどのキャラクターの装備品で、このアイテムを装着すると、「力は上がるが素早さは下がる」といったものは、他の装備品、敵との相性、味方との兼ね合いなどで色々と考えます。


2つ目も当ブログで述べていることですが、好奇心を育てることです。


好奇心が旺盛であることは、様々な対象に疑問を持つことに繋がりますので、常識を捉え直すきっかけが掴めます。


3つ目は、親が間違えたと判断したことに対して、子供へ素直に謝ることです。


子にとって親とは、生存を依存する絶対的な存在であるため、親の常識は後々まで子供に影響を与えます。

その親が謝るのですから、親の常識を疑う素地もでき、権威を絶対視しなくなるはずです。

もちろん厳しさは必要であり、厳しさの中にある謝罪だからこそ生きてきます。

またそのような親の姿に接したら、子供は権威を振りかざす、つまらない大人にもならないはずです。


4つ目は、壁や襖に目一杯絵を描かせてあげることです。


子供はみな常識に囚われていない天才です。

壁や襖は部屋を隔てるものだという先入観を持っていないため、絵を描こうとします。

これを認めてあげることで、常識に拘らない子供になる可能性を育みます。

もし汚したくなければ、壁や襖の上に紙を貼るなど工夫をすればいいと思います。


5つ目は、絵本の文言を変えることです。


本とは、権威や常識の最たる物です。

誰でも出版できる電子書籍の普及により、そうではなくなってきていますが、特に紙の本の多くは、学校の教科書も含めて権威として受け取られ、常識とされる内容の集まりです。

そのため、絵本などの文言や内容を、時に自分なりに変更して読んであげるといいと思います。

そうすることで、常識や権威を鵜呑みにしない大人に育つ素地を作ることができるかもしれません。

アインシュタインもそうだと思われますが、時代というものは常識を否定してきた人たちによって進んできました。

しかし、何でもかんでも常識を否定することはおすすめできないとは思います。

例えば夫婦は同じ名字にしなければならない夫婦同氏について、この制度は世界の状況とは異なり、また時代遅れだとする論調が一部ではありますが、日本で長らく続いてきたこの制度に関し、男性が夫婦別姓を望まない理由は、生物学的な根拠があると思われます。

この議論の前提として、人間を含めたすべての生命は、自分の遺伝子を引き継ぐ自己複製を望んでいるとして話を進めます。

まず、女性は自分が出産した子供について、体外受精や顕微授精などを除けば、自分のお腹から産んだのだから、間違いなく自分の遺伝子を引き継いでいます。

しかし、男性は妻が出産した子供について、自分の子供である確証を得ることはできません。男性は、その子供が自分の精子から生まれたと判別するには、遺伝子検査をしなければなりません。

ここで、今までの制度から大きく変わり、夫婦が別の姓となると、現代の日本では、同じ名字を名乗っていないため、家族間の絆が緩やかになっていく可能性があります。子供もどちらかの名字を選ばなければならず、もし兄弟で違っているとなると、
家族のまとまりが失われていく可能性があります。

そして夫婦は別の姓なのだから、また多くのモノがシェアされている昨今の状況から、配偶者もシェアしていこう、と突飛な主張をする者たちがいずれは出てくるかもしれません。いやこれは突飛ではなく、レンタル彼女とかがもうすでに存在しているのだから、配偶者をシェアすることは、時代の流れであり、個の尊重だと主張するかもしれません。

これが進むと、当然ですが、妻が出産した子供が、法的な配偶者の男性の子供でない確立が高くなります。

当たり前ですが、現代の夫婦間において、夫が自分の子供かどうかを疑って遺伝子検査をすることはほぼありません。

そこには信頼関係があり、婚姻という法律の枠組みを超えた絆があるからです。

しかし時代が進み、配偶者をシェアする時代となっていれば、検査を望む男性は増えているはずで、もっともその時は、法的な配偶者や家族の制度は崩壊しているでしょう。

そうなると、家族の拠り所を失った個人は孤立していくと思われます。

このような将来を見据えながら、家族の結びつきというものを考えていくべきだと思います。

もしかしたら、配偶者のシェアを提唱する者たちは、世界には数少ないながらも、一妻多夫婚の制度を持つ部族などが存在すると主張するかもしれません。

ただこれは、多夫が兄弟の事例が多く、血の繋がりが関係しているようです。

他にも、チンパンジーは乱婚であり、精子間競争が行われているのだから、別に人間がそうなっても不思議ではないと主張するかもしれません。

群れで暮らすチンパンジーのメスが誰とでも交尾する乱婚の理由は、父親を分からなくすることで、母親が生まれた自分の子供を、他のオスに殺されないためといった別の原理が働いてい
るからです。

もし現在のヒトの家族制度が崩壊していけば、そのとき子供はどうなるのか。新しい家族制度が作られていくと主張する者もいるかもしれません。しかし人間は、哺乳類であり霊長類でもあると同時に感度の高い心を持った存在でもあります。そのような観点から、時代というものに流されず、文化的な背景も加味しながら、各種制度といったものを検討していく必要があると思います。

昨今はインターネットの発達により、暗部といった人の様々な部分が可視化され、また所々で旧来の仕組みが作用しなくなっているため、非常識が常識となっている部分もあります。

こういった中で、ある部分では揺り戻しが起きる可能性はありますが、ただそれでも、変化が激しく先が読めないと言われる現代において、常識や権威に囚われない思考や生き方は間違いなく求められていくと思われます。

最後に、歴史上の逸話を紹介します。

江戸幕府の10代将軍である徳川家治は、小さい頃、祖父の吉宗に何か字を書くように言われ、皆の前で習字を始めました。

家治は、そこで「大」という字を書き進めましたが、予想以上に字が大きくなり、三画目が収まりきらない状況になりました。

しかし家治は、いささかも動じることなく、右払いを畳の上にはみ出して書きつけました。

これを観た吉宗は、その気立てを大いに喜び、頭を撫でたということです。(徳川実記)

このエピソードから分かることは、暴れん坊将軍が名君かはさておき、器の大きな人間であったことが分かります。

この話に感心する人であれば、常識に縛られた自分を客観視できる状況を作り出せるかもしれません。

そして最後は教育論になりますが、独創的な創造やアイデアは常識の枠外から生み出されることが多いならば、親は子が徳川家治のような行動をしたとき、常識や自分の矮小さに囚われることなく、八代将軍・吉宗のように褒めることのできる人間でありたいものです。


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