壺
画像 canva ben-bryant
後漢書といった中国の文献は、古くから大陸文化を取り入れてきた日本に、良くも悪くも多大な影響を及ぼしてきました。
その多くが故事成語となり、我々日本人の骨格を形作ってきました。
本記事は、昭和天皇が読み上げた終戦の詔勅に筆を入れ、また戦後の歴代首相に対して指南役を務めたとされる陽明学者・安岡正篤氏が、生きる指針として説いた「六中観(りくちゅうかん)」でも引用されている、後漢書・方術伝費長房からの故事成語「壺中天有り」について紹介していきます。
その多くが故事成語となり、我々日本人の骨格を形作ってきました。
本記事は、昭和天皇が読み上げた終戦の詔勅に筆を入れ、また戦後の歴代首相に対して指南役を務めたとされる陽明学者・安岡正篤氏が、生きる指針として説いた「六中観(りくちゅうかん)」でも引用されている、後漢書・方術伝費長房からの故事成語「壺中天有り」について紹介していきます。
安岡氏の説いた六つの心構えは、
忙中閑有り(ぼうちゅうかんあり)
苦中楽有り(くちゅうらくあり)
死中活有り(しちゅうかつあり)
壷中天有り(こちゅうてんあり)
意中人有り(いちゅうひとあり)
腹中書有り(ふくちゅうしょあり)
絶望的な状況の中で、生きる道を見出そうとすること
だんじは まさにしちゅうにせいをもとむべし ざしてきゅうすべけんや
男児たるものまさに死中に生を求めるべきであり、坐して窮地に陥るべきではない
引用参考文献 全訳後漢書〈第11冊〉列傳(1) 汲古書院 渡邉 義浩 堀内淳一
から来ている有名な成句ですが、今回は、
壺中天有り(こちゅうてんあり)
を取り上げたいと思います。
出典は後漢書の方術伝費長房です。
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) コトバンク
忙中閑有り(ぼうちゅうかんあり)
苦中楽有り(くちゅうらくあり)
死中活有り(しちゅうかつあり)
壷中天有り(こちゅうてんあり)
意中人有り(いちゅうひとあり)
腹中書有り(ふくちゅうしょあり)
であり、「死中活有り」という言葉は、
絶望的な状況の中で、生きる道を見出そうとすること
難局を打開するため、あえて危険を冒すこと
の意味で、後漢書・公孫述伝に記載のある、
男児當死中求生 可坐窮乎
の意味で、後漢書・公孫述伝に記載のある、
男児は當に死中に生を求むべし、坐して窮す可けんや
男児たるものまさに死中に生を求めるべきであり、坐して窮地に陥るべきではない
引用参考文献 全訳後漢書〈第11冊〉列傳(1) 汲古書院 渡邉 義浩 堀内淳一
から来ている有名な成句ですが、今回は、
壺中天有り(こちゅうてんあり)
を取り上げたいと思います。
出典は後漢書の方術伝費長房です。
「後漢時代、汝南の費長房は市場の役人をしていた。彼が管理する市場の中に薬売りの老人がいて、店先に一つの壺をぶら下げていた。この老人は、市場が終わると、いつもぴょんと壺の中に跳び込んでいった。市場でこのことを見た人はいなかったが、費長房だけは、楼上から見ていて不思議に思っていた。そこである日、費長房は老人のもとへ行き、酒と肉を差し出すと、老人は「そなた、明日もう一度来なさい」と言った。翌日費長房は老人を訪れると、壺の中に一緒に入れてくれた。そこには、きらびやかな御殿が立ち並び、旨い酒と美味い料理が満ち溢れていた。」
というお話です。
言葉の解釈は、
というお話です。
言葉の解釈は、
「酒を飲んでこの世の憂さを忘れる楽しみ」
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