日本の紙幣に描かれた最初の人物
私が小さい頃は、漫画・日本の歴史シリーズや世界の偉人伝記シリーズが流行っており、沢山の子供たちが読んでいました。
現代も、多くの出版社から伝記シリーズが発売されていますので、今を生きる子供たちも、著名な人物の人生から何かしらの感銘を受けていることだと思います。
「谷深ければ、山高し」という株式相場の格言がありますが、何かを成し遂げた人には大抵大きな挫折や失敗があり、それらを糧にして自分の目標に邁進し、陽の当たる場所に出てきています。
まず一つ目に、挫折や失敗から立ち直る方法を学ぶことができます。
もし自分が何かしらの失敗を経験したとき、尊敬するあの人はあのようにして挫折を乗り越えてきた、尊敬するあの人ならこの局面でどのように行動するだろうか、と今の自分と重ね合わせ、思い巡らすことができます。
二つ目に、大きな夢を持つことの大切さを学ぶことができます。
犬や猫に寄生するノミという虫がいるのはご存じだと思いますが、ノミは驚異的な跳躍力を持っており、自分の体長の約100倍もの高さを飛ぶことができると言われています。
このノミをコップに入れ、天井にガラスの蓋をすると、当然ノミはジャンプをしてもコップの外に出られなくなります。
ノミは何度かジャンプをして失敗を重ねると、その後天井のガラスを取り外しても、コップを越えるジャンプができなくなってしまいます。
この話はノミの天井と言われ、限界を学習してしまう怖さを示しています。
本来どの人間にも無限の可能性が秘められているはずですが、成長するにつれ自分で自分の限界を作ってしまい、夢を持つことや挑戦することを諦めてしまいます。
ただし、このノミの話には続きがあります。
コップの中に限界を学習していない普通のノミを入れると、その個体は当然コップを越えるジャンプをします。
そうすると、それを見た限界を学習したノミも元のジャンプ力を取り戻すのです。
偉人を我々と違う人間と思わずに、尊敬するだけでなく見習うことで、大きな志を持ち、挑戦することの大切さを学ぶことができます。
三つ目に、努力することの大切さを学ぶことができます。
大志や大きな目標を抱いたら、その実現には日々の努力が必要です。
何かを成し遂げた人は必ず努力をしています。
当人は努力と思っていないケースが多いですが、毎日毎日、瞬間瞬間に自分を賭け、情熱を持って日々を過ごしていくことの大切さを学ぶことができます。
歴史上の偉人だけでなく、漫画や小説といった魅力的な登場人物でもいいでしょう。
それら数多くの人生に触れ、憧れや尊敬の念を持つ人物を見つけることは、困難に陥った自分を助けてくれるだけでなく、人生をより豊かにしてくれるはずです。
しかし、誰かを尊敬するにあたり、気をつけたいことが四つあります。
一つ目は、尊敬をするあまり、その人の何から何まで真似てしまうことです。
例えば、吉田松陰の好物が大福餅だったからといって、自分の好物も意味もなく大福餅にしてしまうようなことや、西郷隆盛を尊敬しているからといって、西郷の遺した言葉をすべて名言としてしまうようなことです。
これでは自分という存在がなくなってしまいます。
何かの決断も、自分ではなく吉田松陰、西郷隆盛に責任転嫁してしまう恐れもあります。
あくまでも主体は自分であるという意識を捨てないことが大事だと思います。
二つ目は、大きなことを成し遂げることが素晴らしい、成功が重要だと考えてしまい、一般的に成功の定義と考えられている地位や名誉の獲得を目的にしてしまうことです。
成功とは、社会的地位や名声、または富を獲得することではありません。
成功とは、自分の好きや得意なことを見つけ、それをとことんまで追求して才能とし、その能力を活かして社会に還元し、そのことに喜びを感じることだと私は思います。
地位、名誉、お金は、好きなことや得意なことをしている結果、後からついてくるものだと思います。
三つ目は、負けた挑戦者や、無数の無名戦士たちに想いが至らなくなることです。
時代や権威におもねることなく、挑んだがゆえの敗者や、市井に生きた無数の無名戦士に対する眼差しが、ともすると欠けてしまうことです。
そのような人たちにこそ本質がある場合も多く、また敗者に想いを馳せられることこそが、真の人間愛を備えた人物の証であり、いま必要とされている人間像だと思います。
四つ目は、名声やお金を手に入れたがゆえ、晩年身を崩してしまった偉人に習い、自らの破滅を正当化してしまうことです。
株式相場の格言には「山高ければ、谷深し」もありますが、世間から脚光を浴びることで、自分を失ってしまう人物も当然います。
そのような偉人の行動を真似し、自らの破滅的な行いを正当化するようなことは危険です。
何かを成し遂げた人は、誰かの引き立てやタイミングといった運もあるはずですが、学ぶべき点と共に注意すべき点もあります。
そしてまた、誰かを尊敬するにあたり、常に自分という存在が第一にあることも忘れてはならないでしょう。
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